大学生活をふりかえって
橋本ゼミ
2006年3月卒業生のエッセイ
(提出順)
17020084 藤原愛子
はじめに
この大学4年間を振り返ってみると、自分の考え方がずいぶん変わったなぁと思う。大学1,2年までの考え方は、今思うとありえない。どんな考え方かというと、私はずっと「大学に現役で入って、4年で卒業しなければならない」と本気で思っていた。受験のときは大学に落ちたら専門学校に行くかフリーターになろう、1,2年のときは留年したら学校辞めよう、と心に決めていたのだ。とは言え、実際にそんな場面に直面したとき、本当にそうしていたかはわからない。それでも、今の私からしてみればそんなことを考えている人は怖い。頭固すぎるだろう、と思ってしまう。頭が固いのとは少し違うかもしれないが、まぁそんな考えは大学3年以降跡形もなく吹っ飛んでしまった。その理由というのは、浪人した人や留年した人をたくさん見たから、の一言に尽きる。さらに、そういう経験をした人のほうが大人に見えたりして、ちょっとうらやましく思うことすらあった。
ここで言いたことは、今まで自分がいかに狭い世界しか見てきていなかったかということ、そして大学に入ってから少しは視野が広がったのではないか、ということだ。大学に入っていろんな人と出会い、いろんな価値観に触れることは私にとって貴重な経験となった。
そんな私の視野を広げる出来事となったのは、主にアルバイトとゼミとワークキャンプだ。その三つをそれぞれ振り返ってみたいと思う。
アルバイト
「大学1,2年に何してた?」と聞かれたら「バイト。」としか答えられない。もっと他のこともできたのではないか…、と後悔の残る時期でもある。しかし、大学4年間を通して11種類のバイトをしたということには結構満足している。完全な自己満足だ。いろんな仕事を体験できるということが私にとってバイトの最大の魅力だった。
@コンビニエンスストア
バイトの面接に落ちまくっていた私を初めて採用してくれた思い入れのあるお店。お中元やクリスマスケーキなどのノルマは大変だったが一年くらい続けた。レジの使い方やお金の数え方など基本的なことを丁寧に教えてもらえてよかった。店長とアルバイトが付き合っていたことにも衝撃を受けた。ある意味視野が広がった。大量の廃棄を見てショックも受けた。発注ミスで中華まんを大量に余らせた。おでんのはんぺんを落とした(しかも最後の一個)。プリンに「箸つけますか?」と聞いた。などなどいろんな思い出がある。
A焼き肉屋
飲食店で働きたくて転職した。なんと言っても賄いのご飯を食べるのが楽しみだった。でも、お客さんが全然来なくて、ひまでひまでひまで辛くて辞めた。仕事をしていて一番辛いことはやることがないことだと思う。忙しいと体力的には辛いが、そっちの方が100倍ましだ。
B選挙の開票
楽。もう少し人件費節約したほうがいいのではないかと思った。
Cデパートのお中元売り場
いきなりランクアップした仕事だった。はじめはレジ担当だったのに、人手不足で承りもやった。宛先や商品を聞きながらパソコンに打ち込んでいく、それだけなら楽に思えるがこの商品にはのしに名前を入れられない、日付を指定できない、などなど面倒な制約がたくさんあるのだ。電話対応もしたりして大変だったが、一緒に働いた人がいい人で楽しかった。何だか人間関係には恵まれているらしい。ただ、1つか2つ年上の人がすでに子持ちでバツイチだったときには驚いた。ほんとにいろんな人がいるものだ。
Dデパ地下のクッキー屋
ここは制服がきつかった。バイト初日、「この帽子は一体どうやってかぶるんだ!?」ととても困惑した。今となってはいい思い出。ここで初めて人間関係で悩むことになった。仕事に厳しい人がいて、新人であろうと叱られる。でも、仕事ができるようになってからは仲良くなれたのでよしとしよう。彼女怖さにやめていった子も多数。
E模試採点
楽なような辛いような。でもこんなに思い通りのシフトで働ける仕事は他にはない。
F競馬場
世の中の天と地を見た気分。毎回100円ずつ買っていくおじいちゃんもいれば、万札の束を持ってくる人もいる。初めてあんなにたくさんのお金を見た。でもお金に見えない。いろんなおじさんがいてかなり楽しかった。もしフィリピンに行ってなかったらもう一回やりたかった。
Gよさこいソーラン祭り
グッズ販売。効率の悪さに腹が立った。一度仕事を任せたなら最後までやらせるべきで、そうしないなら最初から仕事を任せるな。10日間で90時間働いた。しかも最終日に簿記2級の試験があって、受かった。ちょっと自慢。
Hデモンストレーター
孤独なお仕事。仕事は慣れてからが楽しいと思う私には向いていない。しかもあったかい緑茶。「渋い」「薄い」の声は報告書に書けませんでした。すいません。
Iクリスマスケーキ
楽しかった。少人数だったのでアットホームな雰囲気。私のイチゴスライスは不評だった。ホテルだったので、宴会用のデザートも手伝ったりして助手気分を味わえた。つまみ食いもたくさんした。
Jミニカーのイベント
働き過ぎた。元旦から働くものではないと思った。物販だったので、売り文句をいろいろ考えた。それをお客さんに笑われた。「○○○(ミニカー名)の便座シートもあります!!トイレでも○○○といっしょ!!!」注目を集めるためには変なことをいってなんぼです。関係ないが、バレンタインのチョコ売り場でおばさんが「みんなそれぞれに素敵ですよ〜。」と言っていた。正直、何も伝わってこなかった。
バイトを通して自分が変わったと思うのは、デパ地下の頃はマニュアルの売り文句しか言えなかったが、最後のイベントでは自分で考えて少しでも売ろうとしていたことだ。ただ恥じらいを捨ててしまっただけかもしれないが…。それだけではなく、バイトで老若男女幅広い人に会うことができ、いろんな価値観に触れて、いろんな人とうまくやってこられたことで少なからず自信を持てるようになった。
ゼミ
ゼミで私が一番変わったのは、本を読むようになったことだ。ゼミに入るまでは全くといっていいほど本を読んでいなかった。全く興味がなかった。本を読んでいる人ってすごいなぁと感心してしまうほどだった。今、私に考える力が足りないのはひょっとして読書をしてこなかったからではなかろうかと思う。ゼミのテキストを私は少しでも理解できていたのか謎は残るものの、発表のときは担当部分を読み込んで(まず日本語を理解するのが大変だった)自分なりにかみ砕き、質問に対する答えを何とかひねり上げる(でっち上げるともいう)という経験は非常にためになったと思う。少しは論理的思考というようなものを得られたのだと思いたい。3年のころは自分の発表で一度も質問に答えられないこともあり、同じ班の人に全部助けてもらったときにはさすがに危機感を覚えた。しかし徐々に質問に答えられるようになっていったので、成長したと思ってもいいだろう。
また、質問を考える(これもでっち上げる)ということもなかなかいい経験になった何でもいいからとにかく質問をでっち上げるという習慣は就活でも役立つ。セミナーなどで私が質問をできたのは、ゼミで質問することに慣れていたからでもあると思う。
それに、あの課題の量。ゼミが始まった頃はバイトもしておらず、時間があったのでいくらでも課題に時間を割けた。だから何とかやってこられたのかもしれない。サークルやバイトなどと両立させていた人を尊敬する。大変ではあったが、あの課題をこなしてきたおかげて毎日勉強する習慣がついて、文章を書くことに対しても以前より抵抗がなくなった。特に、勉強習慣は就活でアピールポイントとして大いに活躍してくれた。毎日机に向かっているということだけで驚く人事の人もいる。学生は勉強しないものだと思っているからだろう。とにかく、ゼミでやってきたことは決して無駄にはならないと思うので大変だとは思うが後輩にもがんばってもらいたい。
本を読むようになったことも自分の視野を広げたのではないかと思う。それに、ゼミではバイトで出会う人とはまた違う人たちにも出会うことができた。バイトでは仕事や社会について考えさせられるが、ゼミでは学問について考えさせられた。自分はこの4年間で一体何を学んだというのだろう?講義に出て単位を取って、あとには何も残らない。もっと何かを学びたいと思った。それは働いてからでもできると思うので実行したい。大学ではほとんど学問できなかったが、学問に興味を持てたという点では意義があったのだと思いたい。何だか大学生活の振り返りというより、意義付けのようになってきてしまったがそれは気にせず進めよう。
ワークキャンプ(フィリピン)
ワークキャンプ体験談については卒論にも書いたのであまり詳しくは書かない。ぜひ、海外に行ってみたいが特にどの国に行きたいという希望はなくてちょっとでも国際協力に興味があってサバイバルな生活に耐えられて集団生活にも耐えられる人には行ってみてほしい。トイレは穴だし、その竹小屋も傾いているし、お風呂は水浴びだし、よく小屋の床は抜けるし、ハイキングは登山並みだけど、そんな細かいことなんてどうでもいいくらい楽しいし、得られるものは大きいと思う。単に細かいことを気にする余裕がないだけかもしれないが。
現地人との出会いももちろん感動的だが、日本人キャンパーとの出会いもとても大きい。みんな将来やりたいことが決まっていたり、情熱的だったり、活動的だったり、何かと刺激を受けた。これからもキャンプで出会った人たちとは関係を続けて行きたい。
そんなバリウェットのおすすめポイントをいくつかあげて終わろうと思う。
・ 星がキレイ:電気もないからとにかくすごい!一晩で三つ流れ星を見たことも。死ぬ前にもう一度あの星空を見たい。
・ お茶目なアエタ:アエタ族の青年や大人はいつまでも少年の心を忘れていない。いたずらやマジックや恋愛トークが大好き。とにかく楽しませてくれる。
・ 子どもがキラキラ:目がキラキラ輝いてる。しかし一度遊び始めるとエンドレス。「ママヤ!(後でね)」と何度言おうと小屋まで押しかけてくる。お笑い芸人並みに笑わせてくる。
・ 「ご〜は〜〜ん!」:この掛け声で朝起こされる。とにかくごはんがおいしい。たくさん動いた後のごはんは格別。
・ 弾き語り:もう毎晩弾き語り。思い出の曲がたくさんある。「チェリー」がお気に入り。
・ ダマ:チェスのようなゲーム。アエタ青年はわざと負けてくれたりする。それに腹を立てるも本気を出されると歯が立たない。でもたまに本気で弱い人もいる。子どもルールはもう何でもアリ。
その他にもまだまだ楽しい思い出がある。でも、ただの「楽しかった思い出」に終わらせてはいけない。これから国際協力の面で自分がどれだけ貢献できるかはわからないけれど、この経験を何らかの形で生かしていきたいと思う。
おわりに
部活やサークルをやればよかった…などなど後悔もあるのだか、全体を通してみるとなかなかいい大学生活だったのではないかと思う。大学入学時よりは柔軟な考え方ができるようにもなったし、興味の幅も広がったし、これからの課題も見つかったし。ただ、まだまだ大学生活は終わっていないので残されたわずかな時間を充実させることも忘れないようにしたい。終わりよければすべてよし、である。
4年 西川聡
大学1年の春、初めて北海道に出向き、北大に入学したての頃は自分がこれからどんな大学生活を送っていくのかを模索する事だけに時間を費やしていたように思います。今まで部活しかやってこなかった自分は大学に入ったらやりたい事が多すぎてとにかく色んな事に手をつけていたけれども、結局何もやりたいことが見つからずイライラする毎日を過ごしていました。とりあえず、大学生になったら色んなバイトを経験してみたいと思っていたので、宅急便の仕分けや、携帯電話の販売員など手当たりしだい始めましたが、どれも1年も続かずにやめました。さらに、AO入試で入学してしまった自分は、受験勉強をほとんどしなかったため、勉強をがんばろう、と思う時期もありました。しかし、大学の講義は予想以上に退屈であり、魅力のないものでした。しかし、大学の授業は退屈だけど友達も来てるから、行かないと集団の和からはずれてしまうし、行かないで家で独り孤独になるよりかはマシかと思って毎日ダラダラと通学していました。そして授業中はろくに集中せずにボーっと座っているだけ。1年の後期なんかはほんとふぬけな生活を送っていました。高校までも学校がたいして楽しかったわけでもないけど部活を毎日がんばっていたのでなんとか充実した気分を味わうことができていたが、大学に入って初めて何もしていない自分というものに気づいてその不完全燃焼さにイライラの毎日だったように思います。そして、今では家に一人でいるときが一番のリラックスできる時間になったけど、当時はまだ独り暮らしをして間もない頃だったので、その孤独さが余計に自分を落ち込ませていた気がします。
2年になってもその生活リズムは大して変わらず仲の良い友達と遊んでいる時だけは楽しかったけど、家に帰るとまた何をしたらいいのかが分からない。そんな生活でした。特に2年の春休みはひどかったです。回りは海外旅行やら、公務員試験の予備校やら行きだしてなんか充実していそうな毎日を過ごしている人が多かったけれども自分はひたすら家に引きこもってテレビ見る。あんまりテレビばっかり見てると自分のだらしなさにへこむから、それを忘れようと昼間から寝ようとする。寝てる時は気持ちいいけど起きるとまたさらにへこむ。睡眠が僕にとってはまさに酒のように作用していたと思います。もちろん、1,2年の時も旅行したり勉強したりと充実した時はあったのですが、大まかに言えばそんな感じでした。まあ、今でもそういう時けっこうあるんですけど・・
けど、そんな僕のだらしない生活は3年になってからガラっと変わりました。僕のだらしない生活を変えてくれたは、大きく言って三つ。サークル、塾講師のバイト、ゼミです。
まずは、サークル。週に1,2回しか行っていなかったサッカーサークルでなんと3年からは僕がキャプテンをすることになってしまったのです。今まで人の先頭に立った事がなかった僕はどうすればよいのやら、本当に困っていました。けど、そんなことは言ってられませんでした。とりあえず、キャプテンとしての信用を得るためにも、無遅刻無欠席は絶対守ろうと心がけました。リーダーシップ力がない分をこういった細かいところでカバーしていかないと、ほんとに形だけになってしまうので、事務的な細かい作業はがんばったつもりです。けど、自分が試合組んだりグラウンド取ったりと、集団の活動を支える仕事をこなす経験ができた事はほんとうによかったと思います。その大変さも面白さも全部くるめて本当にいい経験ができたと思います。重要な所は結局全て先輩に任せっきりだったんですけどね。けど、僕からしたらすごい進歩だと思いました。
二つ目はバイトです。塾講師のバイトです。この経験は自分にとって本当に大きかったと思っています。今まで自分は人に頼ってばかりの人生だったんですけど、このバイトで初めて責任という大きなもの背負いました。自分の指導力不足のせいで生徒がなかなか成績が上がらなかったり、言う事を聞いてもらえなかったりと、へこむ事も多かったのですが、自分の指導が分かりやすいとか、面白いとか言ってもらえる時もあったので、その時は今まで味わった事のないくらいの感動をしました。勉強で悩んでいる生徒を自分が教えたり、励ましたりする事は本当にやりがいのある仕事だと思ったので、これからも続けたいと思いました。人の役にたっていると、実感できた瞬間だったと思います。自分では勉強する気になかなかなれなくても、生徒に分かりやすく教えるためだったら、一生懸命勉強する気にもなれたのは自分にとってもよかったと思います。あと、塾講師仲間にも恵まれました。つわものも多かったので、自分の未熟さを改めて感じる事ができ、それがいい刺激になったと思います。自分は、一応北海道では一番の北大に通っているわけだし、それなりの自信を持ってやっていた部分もあったのですが、大間違いでした。北大生じゃなくても、自分よりもはるかに博識で、教えるのが上手な人はいくらでもいます。けど、みんな本当にいい人でした。なぜか、自分は今まで、勉強ができる=プライド高い=やな奴 と考えていたのですが、塾講師のバイトをやってからはそんなつまらない考え方も吹き飛んだと思います。
そして最後になんといってもゼミです。これはほんとに大きかった。ゼミではあらゆる意味での自分のレベルの低さに何度もへこみました。けど、へこむからこそ逆にがんばる事もできたと思います。毎週出される膨大な課題は途中何度も投げ出したくもなりました。というか、投げ出した事もありますけど。けど、そんな膨大な課題をこなしていった事は僕にとっては本当によかったと思います。なぜならば、それによって自信をつける事ができたからです。橋本ゼミの課題に慣れてしまえば他のどんな授業で課題が出されても、ゾウとアリくらいの差がありますので、楽にこなすことができました。
また、今まで自分の考えを人前で話すなんて事ほとんどできなかった自分でしたが、ゼミで毎週訓練される事によって、だいぶ話せるようになったと思います。文学部でも色々ゼミに出席させていただきましたが、その際も、橋本ゼミで扱ってきたほど難解な本でもなければ、高レベルな議論でもないと思えたので、自信をもって発言する事ができたと思います。
さらに、グループ発表やディベート大会など、共同作業に慣れない自分としては大変な面も多かったのですが、先輩も同学年も後輩も皆いい人ばかりだったので本当に楽しくやれました。彼らとたくさん議論もできたので、お互いの価値観をぶつける事によって、自分の価値観も客観的に見れるようになったし、物事の本質が見えてきたとまでは言いませんが、見方が分かってきたと思います。橋本ゼミで培う事ができたこの基礎力はこれからも絶対いきてくると確信しています。
あと、これは2年生の頃から始めた事ですが、独り暮らしを経験した事も僕にとっては大きかったです。何でも人に頼ってしまう自分の性格もここで少しは改善できたと思いますし、何よりも独りの時間を確保できた事は、色んな意味でよかったと思います。料理の腕はいっこうに上がりませんが(やらないので当然)、洗濯と掃除くらいは習慣的にできるようになったし、何よりも分からない事があっても、親はいませんので、自分で調べたり、考えたりするしかありません。その事が自分の他人依存症を少しは克服できた要因になったと思います。この春から、また実家暮らしになりますが、ここでまた親とかに頼ってしまうと、この経験は完全に水の泡ですので、分からない事やめんどうな事があっても自分でやるというのが、自分の第一の目標です。(低レベルですいません)
また、自分はクラスの仲間たちにも恵まれ、今でも仲のいい人たちとはしょっちゅう遊んでいます。温泉に行ったり、飲みにいったり(自分は飲めませんが)と、本当に楽しい時間を過ごせました。皆趣味も得意分野も違う部分が多いのですが、だからこそ、飽きないでいつまでも遊べるのかもしれません。
サークル、バイト、クラス、ゼミ・・。これらの活動を通じて自分は本当に楽しい良い経験ができたと思います。それも、そこにいた人たちが皆いい人で、なによりも尊敬できる人が多かったからだと思っています。だからこそ、自分もがんばれたのではないかと思います。どうも自分は、何かをがんばるためには、好感の持てる人や、尊敬できる人がいないと、やる気が出ない傾向にあります。人頼みと言われてしまいそうですが、自分はそういう人間なのだと思います。自分が属していたどの集団にもそこには尊敬できる、お手本となる人達であふれていたのです。だからこそ、自分も楽しくがんばる事ができたのだと思うのです。そういう意味で僕はお世話になりっぱなしだったと思います。これからは少しづつでも自分が誰かのお手本となる事ができるように、努力していきたいと思います。
最後に・・
前よりかは幾分マシになったとはいえ、自分はまだまだ未熟だしアホです。こんな僕が社会で生き抜いていくためにはやはり人の2倍3倍努力しなければならないと思っています。とりあえず、先ほども述べましたが、結果はどうあれ何事も一生懸命やる事が一番大切だと思うので、一生懸命やります。一生懸命やっても全くうまくいかない時も多いですが、一生懸命やらなかったら、確実にうまくいかないので、わずかな可能性がある限り、一生懸命やる事は大切だと思います。それが、一見無駄なように思えても・・です。
これからの目標
・ ダラダラしない、何事も一生懸命やる
・ アンテナをもっと張る
・ 読書量をもっと増やす
・ 毎日新聞読む
・ 経済にもっと関心を持つ
・ 人の話をちゃんと聞く
・ 積極的に人と話す
・ 堂々と生きる!(ドラゴン桜より)
17020055 太田翔
北海道にやってくるまで、僕は大阪府堺市というところに住んでいた。バリバリ大阪南の下町である。生まれてからこのかた聞こえてくるのは汚い関西弁ばかり。
そんななか、北海道に来てまず、びっくりしたのはまず言葉。なんという違和感か。
今となっては信じがたい話だが、この先この言葉使いの連中と果たして友達になれるのか?と本気で心配していた。というより、最初、友達はできなかった。最初の一週間くらいだが。
これは、関西人に多いのだが、東京よりの人間に最初から偏見を持っていることがある。本当にくだらない思い込みなのだが、恥ずかしながら自分も当初、これを多少なりとも持っていたように思える。
元々自分はこうした自分をせまくするような考えをたくさん持っている人間だった。いや、持っているという意識はないが、自分と似たニオイを持つ人にしか心を開かなかった。実際高校時代の友人は自分と同じような、運動をやっている勢いのある人ばっかりだった。(まぁ、うちの高校にはそういう人が多かったということもあるが)
ところが、北海道という大阪と全く違う土地に来て、友人を作るにはまず自分を変える必要があった。必要があったというよりは、自然とそうなったというべきか、抽象的な言葉しか浮かばないが、なんというか勢いのようなものがなくなった、その変わりに穏やかさ丸さのようなものが生まれたように思う。単に年齢のせいかも知れないが。
そんな風にしてできた北海道の友人は、皆尊敬もできれば馬鹿にすることもできる魅力的な人間だった。そんな友人をシャットアウトしてしまっていた今までの自分がいかに小さな人間か思い知った記憶がある。
これは今の自分を形成している大きな要素であると思う。どんな人であろうと興味がある、その人を知りたいと思うようになった。どんなことを考えているのか、何を大事にしているのか、話をする時も以前は楽しければ良いと思っていたが、今は楽しさの中にその人をしりたいという気持ちを持っている。
これは、自分の大学時代の中でも大きな要素を占める海外旅行にもつながっている。世界にはどんな国があるのか。日本とどう違うのか。それらを見て自分はどう感じるのか。そしてどう変わっていくのか。
大学で一番貴重な経験はなにか、と問われたら自分は間違いなく「海外旅行」と答える。
そもそも、大学に入って一番やりたいと思っていたことは「世界を回ること」だった。それは、一人で海外を旅行するなんて、なんかかっこいい、などといった不純な動機だったように思う。
僕は、この大学4年間でイングランド、スコットランド、ギリシア、トルコ、マレーシア、タイ、カンボジア、シリア、ヨルダン、エジプト、インド、パキスタン、イランと13カ国を回ったのだが、実を言うと当初はなんとなく行きたいなぁと思っていただけで本当にこんなに回るとは思っていなかった。
なんとなく思っていることを実行に移すことは意外と難しい。自分にとっては橋本ゼミに所属していることが随分それを後押しさせてくれたように思う。ゼミ生が皆海外に興味を持っている人たちであったし、何より先生が海外一人旅を奨励してくれたことが大きかった。
ここで、橋本ゼミ生として可愛い後輩に海外旅行のススメを説きたいと思う。海外に行くとどんな良いことが待っているのか。
@帰って来た時に、若干歓迎ムードになる。「おかえりー!」みたいな感じで。
あと、これに付随して、友達に旅の写真を友達に見せたり、旅の話をするのも結構楽しみである。しかし、これに関しては、旅の話をそんなに真剣に聞いてくれたり、そんなちゃんと写真を見てくれる人はあまりいないから、結局一人で写真を見ながらグヘヘと笑っていたりするはめになることが多い。
A旅先にはとんでもないツワモノがいる。
旅をしてると考えられないようなことをやり遂げた、もしくはやり遂げようとしている人にしばしば出会う。
例えば、ウラジオスクから南アフリカまでバイクで走破しようとしているタフライダーに道を尋ねられたり、ユーラシアを自転車で横断してきて、「今帰り道」などと言っているチャリダーがいたり、齢70過ぎて僕らと同じぼろっちい安宿泊まって、若者と語り明かすじいちゃんがいたり。
日本ではまず、お目にかかれない強者どもが海外では、結構いる。これは自分にとってとても素敵なことである。
B旅の時間っていうのは、普通に暮らしているときよりも、ものすごく濃い時間のような気がする。
日本では考えられないことが次々と起こるわけだから、子供のときみたいに時間が濃い。
旅して、考えて、飯食って、驚いて、腹立って、考えて、笑って、出会って、別れて、語って。こんな濃い時間の中で自分が少しずつ変わってくのが、なんとなく判るような気がするのである。
そもそも、自分たちはこのような時間を経て大人になっていくものではないだろうか。何も知らない子供が何かに驚いたり、怒ったり、笑ったり、そういう時間が子供を健全に育てると思う。
なぜなら、そこから学ぶものはとてつもなく多いからである。知らないことを肌で感じて何かを感じる、そうやって自分以外の世界を知り、自分本位の考えから抜け出すことができると思う。本当に抜け出すことは出来ないかもしれないが、少なくとも自分以外の人はどうだろう、という想像力を養うことはできると思う。
海外ではそれと同じような経験が出来た。自分の常識外の世界を見ることで少しでも想像力が養われた。
Cそして最後に何より純粋に楽しい。異文化と人との触れ合い、旅行者との触れ合い、不安、期待、怒り、孤独、など全てひっくるめてやみつきになる楽しさがある。これは行って経験したものにしかわからない、説明できないものである。
夏休みにゼミの行事などがあって、行きたくても長期海外に行けないゼミもある中、理解ある先生のゼミに入ったのだから、最大限この環境を生かして欲しい。
自分が大学時代に考えていたことは、とにかくなんとなくこの貴重な時期を過ごしてしまいたくない、ということだった。そしてその気持ちは今も変わらない。これは大学一年生の頃所属していたアメリカンフットボールを辞めてしまったことに原因がある。大きな怪我をしたということもあり、部活を辞めてしまったのだがこの時に、頑張っている仲間達と部活を辞めてしまった自分の差というものを痛いほど感じた。だから、自分は大学時代、部活以外に大学時代にしか経験できないようなことをたくさん経験して、有意義な大学生活を送ろうと心に決めた。今となっては、怪我をして部活を辞めてしまったことも新しいことを始めるきっかけになったと思っている。そういうこともあり、自分はいい大学生活を遅れたのではないかと思っている。自分を引き止めてくれた仲間達には感謝もしているし、申し訳ないという気持ちもあるけれど。
最後に
自分の人生はまだまだ続きます。先日先生に言われたように、今自分が考えていることがどれほど甘っちょろくて、築いてきた自信が簡単に壊されることもこれから社会で生きていく上で多々あると思う。しかし、それをむしろ僕は歓迎したい。そういう時に人は成長できると思うから。
17010035 徳永浩平
大学生活を思い返してみる。大学入学前に自分で思い描いていたイメージは今の自分と重なるであろうか、あの時の目標とか夢のなかで、何割くらい達成できたのだろうか、今の自分に振ってみる。
う〜む、夢って実現しないもののほうをいう言葉だったのか?我ながら悪意すら感じてしまうほどの達成度の低さ。こんなはずじゃなかったのに…と負け惜しみをいう位なら初めから本気出せばいいのに、と周りの人について思う自分でも「こんなはずじゃなかった!」と犬で有名なパブロフばりに反応してしまう自分が情けない…。
が、しかし幸せな事に、人生で一番濃い時間を過ごさせてもらった(両親に)と思います、大学生活は。ベクトルこそ予想できない向きだったにせよ、その強さと大きさは自分にとっては目標以上のものだったのではないか、とすら思えてしまうから不思議です。昔の事は美化されるものだとはわかってはいるのですが、やっぱり大学に来てよかったと思います。
そもそも、一年間の浪人生活の末、軌跡の大学合格をやってのけた時から、自分の場合、流れが少しおかしくなっていたのかも知れません。よく競争にたとえられる事の多い大学受験ですが、そうした思春期における天下分け目の大一番にギリギリ勝利できた自分を今になって誉めてあげたいです。その勝負強さたるや、まさしく徳永浩平個人の人生最大のラッキーパンチだと今でも思っています。この一発なくして今の自分は考えられません。例え一発のラッキーでも、人生を大きく変える可能性を秘めていることを思うと、人生どこでどうなるかなんて想像できるわけがない、とすら思います。
ここで、完全な自己満足だけのために5年間の大学生活の主な出来事をざっと振り返って見たいと思います。
大学1年生 音楽に夢中になる。浪人時代にたまり過ぎた音楽への欲求が、岡本太郎の芸術ばりに爆発。自動車免許を取得。初めての学校祭に味をしめる。親友に音楽オタクと本気で心配され始めるのもこの頃。
大学2年生 音楽活動絶頂期。音楽を通じて、社会のダーティな側面に触れ、傷つく。一方で音楽を通しての様々な先輩と出会い、学ぶ。学祭も最大級の規模。車で熱海へ行ったのもこの時期なら、運動に目覚めたのもこの頃。
大学3年生 ゼミ。謎の休学。橋本先生との出会いで視野は一気に世界へ。1人海外旅行の楽しみを覚える。中東旅行、インド旅行。学祭でもはじめての野外。出会いの大切さを意識し始めるとともに、今までの自分の小ささに我ながら驚く。
大学3年生 ぜみ。今のメンバーと出会えてほっとする。沖縄で初めての定住バイト生
(2期目) 活を体験し、社会人への憧れが増す。学校祭も個人的なMVPはこの年。就
職活動。
大学4年生 引き続き就職活動。のめりこんで東京での就職活動を経験することになる。
就活終了と共に、最後の学祭。夏には久々の海外、中国・チベットへ。標
高3000メートルの世界から日本を眺める。そして最後の大仕事、卒論執筆
へ。
こうして年表のごとく眺めると、意外とあっさりしたもので違った意味で驚きがあるが、自分にとっては濃い5年分以上の時間が流れていたような気がします。時間があるのが大学生のイイところ、とはよくいったものではあるけど、これだけ景気変動の激しい5年というのは人生の中で味わった事はなかった。
これらを通して思うのは、@出会いは力 A行動が源 B急がば回れ の三つを実感したことです。
@出会いは力
@の出会いは、大学の1〜2年くらいは意識こそしなかったが、音楽活動であったり、友達の友達であったり、そうした出会いによって強く影響を受け、今の自分を思うと、大きな力となっていたことは言うまでもないことです。特に人見知りを持っている自分は、それだけ出会いの機会は少なくなるのですが、そんな中でも出会えた人たちというのは、まさしく出会うべくして出会ったと思えるのです。
また、自分に新しい価値観をくださった出会いは、橋本先生との出会いが大きいです。今でも覚えているのですが、自分がゼミ選択の時は橋本ゼミがダントツの一番人気で、自分も先生の自由な空気、何かが起こりそうなワクワク感に惹かれ応募しました。なぜ自分が橋本ゼミに入れたのか、ということは結構最近まで謎に包まれていて、自分の熱い思いが先生に伝わったんだろうなあ、くらいにうぬぼれていたところ、ある日先生が「あの年は変人をとったんだよ」とあっけらかんと語られていた先生のコメントに、「やっぱりそうでしたか!」と言いながらも、自分のうぬぼれがやけくそに変わっていったのはいうまでもありません笑。
話が逸れましたが、先生の学生時代のお話に強く影響を受けたものの一人として、あのとき橋本ゼミに入ったのも、入るべくして入ったと自分勝手に解釈している次第です。
その後も、旅行先や、就職活動での出会いがありました。さらには今までの友達もどんどん伸びて成長していきます。自分にとってはそれがまた新たな出会いとなっているのです。自分の理想としては、自分が何かをもらってばかりではなく、お返しもしたいと思うのでこうした長く付き合える友達というのは本当に貴重だな、と思います。だから、そのためにも自分が何らかの点で、少しでも刺激になれるよう頑張らなくてはと思います。
加えて、就職活動が終わったあとに実感しているのが読書による出会いです。音楽でもそうですが、自分のこだわりを持つのはとても大事です。だけど、こだわりというのは基本的なスタンダードの知識や理解があってこそのこだわりであって、それがないうちは逆にこだわりの180度反対をいくくらいの覚悟で出会わなくてはいけないとすら思います。食わず嫌いは視野の狭さ以外、何も生み出しません。自分で触れて判断したうえでのこだわりは尊重すべきですが、そうではなく好きなものだけ読む、聞く、というのは単なる快楽です。快楽というのも大きな要素ではあるのですが、読書・音楽というのは快楽にしておくのはもったいないくらいに多くの出会いがあると思うし、だからこそのめりこめると思います。
A行動が源
Aの行動が源について。こうして書いていると本当に当たり前のことばかりなので気後れしますが、書くしかありません。本当にそう思っているからこそ、だと思って勘弁してください。
思い返せば、自分の人生において、自分の意志で何かを行動を起こした、というのが音楽でした。最初は、憧れからはいってのめり込むうちにはっと我に返ると好きになっている、という理想的な恋の始まりを見ているようでした。今おもうと、明石家さんまにいわせるなら「お前ら、勇気あるなあ〜」と突っ込まれてもおかしくないくらい、無謀なスタートだったと思います。今でも思い出になっているのが、キングムーというバブル期の遺産がうんだ申し子のような、無駄にゴージャスなクラブで500人くらいの(といっても学生イベントだったのでお客さんはほぼ学生だったのですが)お客さんの前でライブできたことは最高の思い出になっています。特にステージに下りるまでの螺旋階段があるのですが、そこを相方であり親友のH田君が、どんなに止めようとしてもこみ上げてくる緊張を逃がすために、例の寮生マナーにのっとり「フレ〜、フレ〜!」と始め、なんだいきなりと思うや否や、最後に「じっぶっん!!」と声を掛けた時のその限界の表情を忘れる事はできません。勿論自分も、劇画調のリアルな顔をしていたということはいうまでもないことですが。自分もそんな小さな応援団に後押しをされたからこそ、500人の前に出る事ができたと思っています。
それもこれも、ずぶの素人が気持ちだけで上ったようなステージです。勿論、そこに至るまでに様々なドラマがあったのですが、何を言いたいのかといえば、そうして起こした行動によって得た経験が、結果などどうでもよくするくらい重要だということです。
経験だけは、どんなに出会いを重ねても、どんなに本を読んでも得る事はできない財産だと考えています。一人の人間は、経験からできているといっても過言ではないくらい、そこは嘘のつけない部分だと思います。
ひとたび経験すれば、人間何かしら自分の頭でその経験を考えるようになります。そこの部分が源たる所以です。血となり肉となり、といったところでしょうか。
自分を振り返ってみて、そうした大きな行動となったのは、上述の音楽、海外に代表される各種の旅行、そして就職活動でした。特に大学のカリキュラムに含まれていそうなものは就職活動くらいしかないのが情けないですが、やはり人間急いではいけません。ここからBの急がば回れにつながってゆくであろうことは、これ以上ないわかりやすさでした。
B急がば回れ
ということでB。思いがけず5年間も学生生活を送る事になってしまったわけですが、今になっていえることがこのBです。人生、必ず必要な無駄がある、ということ。自分も特になりがちなのですが、すぐ結果を求めるあまり逆に結果がついてこない、という状態。ストイックになれる、というのも才能だとは思います、自分を見ていても。だけども、人生という長いスパンで考えた時、果たしてゴールへの最短ルートを通ることが結果としてレース全体でみていい試合だったといえるのかどうか、です。そこで言い切れる人はどんどん最短ルートを通ってゴールを目指せばいいと思います。このあたりは、結構そのひとの価値観がでるところなのでこれが正解、というのはないものだと思いますが、自分の場合は欲張りなので、色々なものが気になってしまうのだと思います。そうやって色々“無駄な”経験から学んだことは、意外と無視できないくらいその人の個性に結びついている、そんな気がします。
最後に、この場を借りて、橋本先生を始め、橋本ゼミの皆さんには本当にお世話になりました。今になってその有り難さ、自分の未熟さを実感している次第です。先にも書きましたが、みなさんにもらった力をお返しできるような人間になれるようにこれからも精進していくつもりです。ほんとうにありがとうございました。
17020020 清水大輔
1:はじめに
2:大学生活
A:旅行
B:留学
C:部活やサークル
D:様々なバイト
E:思う存分読書
F:夜遊び→昼寝(酒にまつわるエトセトラ)
G:友達づきあい
3:社会人
4:終わりに
1:はじめに
3月24日に大学の体育館で、卒業式を、全学部生いっせいに集めて行うらしい。そんなに、多くの人が入るのだろうか。入学式の時は確か厚生年金会館とかでやったはずなので、この格差に驚いてしまう。いくらなんでも、体育館は狭すぎプラス雰囲気無さ過ぎなんじゃないだろうか。
大学生活4年間がもうすぐ終わってしまうということを考え、早かったのか、遅かったのか・・・・・・早すぎだ。人生における、若い内のもっとも輝くべき年頃に「今」、いるはずである。時間をもっと奔放に使えるのなら、もっと遊んでやりたい。もっと学んでみたい。という気持ちがある。大学生の時間というのはそれほど貴重で、魅力たっぷりだ。
反面、将来につなげるためにも、若い今の内に自分を鍛え、生涯生き抜く力を得たいという気持ちもある。働くのが嫌なわけじゃない。(嫌といえば嫌だけど)。少なくとも、自分が考え抜き、「ここだ!」と思える所に就職でき、仲間と共に自分を高め、給料ももらえるのだから、今の内は間違いなく幸せなのである。勿論、そこは未知の世界であり、刺激と興奮(もちろん苦労)に満ちあふれている。期待と不安で一杯である。
離しても、離しきれない大学生活。その魅力って?大学生でしかできない事、それはなんなのだろうか?キーワードは「時間」だと思う。時間を思うぞんぶんかけなければできない事、例えば「旅行」、「留学」、「部活やサークル」、「様々なバイト」、「思う存分読書」、「夜遊び→昼寝(酒にまつわるエトセトラ)」「友達づきあい」。僕はこれらの例について、満足しきっている訳ではない。むしろ全然足りていない。
いい機会なので、今あげた例について、大学生活を考えてみて、んじゃどうするの?というところまで考えていきたいと思う。
2:大学生活
A:旅行
大学生活において、旅行というものはもっともポピュラーなものではないだろうか。僕もその例外では無く、はまってしまった感はある。うちのゼミ生は旅行好きが多く、しょうちゃん、とくさんをはじめ、みんな積極的にどっかかんか行っている。
僕は
@ イタリア(一年の冬)
A 中国の短期留学(一年の春)
B 大阪→秋田の旅(二年の春)
C 沖縄西表島で住み込みバイト(三年の夏)
D スウェーデン留学(4年後期)
E スウェーデン各地(留学中しばしば)
F デンマーク(留学中しばしば)
G タイ
H フランスのアルプスにスキー旅行(韓国人3家族と)
I トルコ・ヨルダン・エジプト・デンマーク旅行(帰国に際して)
J ブラジル、ニューヨーク旅行(卒業旅行)
と今考えれば、本当に多くの土地を見てきた感じがする。しかし、まだ足りない。一カ所行ってしまうとあそこも行きたいな、こっちも行きたいな、という気持ちがどんどんでてくるからだ。昔、あこがれだった事が、現実味を帯びてくる楽しさ、これは何事にも代え難い。
百聞は一見にしかずというが、本当にその通りだ。聞いて、その土地をイメージすることなんて、見ることには全くかなわない。というか無理である。その土地での出会いによって、新しい考えが湧いてくる事がしばしばである。見聞を広げるということは楽しい。
また、旅行中は時間の無駄遣いをしない。常に、刺激を求め、刺激がそこに存在する。本当にエネルギーを必要とするし、ある意味、修行的な満足も得ることができる。自分が大きくなる、という感覚を得れる体験であるように思う。(勘違いかもしれないけど)
なによりも、魅力的なのはすごい人たちとの出会いである。だいたい30代が多いけれど、そこに集まるのはエネルギーに満ちあふれた男達である。日本にいる30代とはまた違ったオーラをだしていて、話も面白い。あ、こんな人生もいいかも、と思える瞬間である。
B:留学
留学も大学生でないとなかなかできない。企業に入ってからの留学などもあるけれど、全然性格の異なるものだと僕は理解している。長期、滞在することによって、言語、価値観など本当に多くの事が自分の中で変わっていった。
僕は経済学部の交換留学制度を使いスウェーデンのヨーテボリ大学へ、留学してきた。この事については留学体験記を別途書こうと思っているので、省略しようとおもう。留学は絶対にした方がいいと思う。それは、日本を客観的に、自分を客観的に見る、相対的な価値観を広げる大きなチャンスだからだ。もちろん、留学で辛いこともある。けれど、楽しい事に比べればそんなもの、微々たるものだった。
留学中は、勉強と酒とバスケばっかりだった。どこへ行っても、基本的なスタンスは変わらないものだ。
C:部活やサークル
僕はバスケットボールサークルをやっていたのだが、本当に最高の場所だった。酒8バスケ2をモットーとして、とにかく飲み会大好きな人たちの集まりだった。今でも、最初の練習でいきなり潰されたことを覚えている。
僕らの飲み会はずっと変わらない。「18条のつぼ八」。とにかくここばっかりなのだ。しかも、つまみはほとんどでず、ビール瓶だけで何時間も飲み続けるというスタイルだ。当然、一度の飲み会で何回も吐くことになる。それが、苦にならなくなり、飲み会が楽しくなればようやくぼくらの仲間入りというわけである。
バスケも強い。平均身長は僕くらい(180cmくらい)で、とにかくみんな上手い。高校時代上手かった人たちが不思議と集まり、一緒にプレイしていて楽しい限りだ。最初は本当に驚いた。北大の中でもダントツに上手い人たちが集まっているサークルである。それなのに、この飲み会か・・・と。このサークルに入れたことは今でも僕の自慢である。
僕らは学内のサークルの大会では何度も優勝している。3オン3大会でも同期と出て、優勝しているし、バスケに関して、これ以上恵まれた環境は僕にとって無かったように思う。
サークルのイベントはいくつもあるが、そんな中でも一番のイベントは10月に行われる合宿だ。焼酎、日本酒、ワイン、ウォッカ、ウィスキーなんでもござれ。ビールとカクテルも100本以上用意する。それを2泊3日で飲み干すわけだ。当然、みんなつぶれる。記憶無くなる。トイレに駆け込む。そんなあついイベントが行われる。一番の見所は会長になった奴が、ワインを一本イッキする時。これはあつい。僕も一年の時、会長に任命され、一本イッキした。いつの間にか、伝統になっているようだ。
僕らが一年の時は週3回以上サークルで飲んでいたのではないだろうか。とにかく、このサークルと酒は切り離すことができない。
そんなサークルの追いコンが先日行われた。3次会まで行ったようなのだが、あんまり記憶が無いことは確かである。楽しかったような気がする。ここでできた友達は一生続くだろう。いい奴らばっかりだ。
D:様々なバイト
バイトは長期のものはやったことがないが、短期のもので面白いものを結構やってきたように思う。
@ 家庭教師
A 塾の講師
B ベネッセの採点バイト(年3回)
C 沖縄の住み込みバイト(海の家)
D イベントスタッフ(ほんとに色々)
E 日雇い力仕事
F 就活雑誌作り
G ホテル朝食スタッフ
H モデル事務所
やってみたかったのが、コンビニのバイトとか、古本屋受付、居酒屋のバイト。旅行行きたかったり、時間拘束されるのが嫌でやってなかったのだけども面白そうだなあと今では思う。
E:思う存分読書
大学生活ではまずまず読書をした方の人間だと思う。最初は小説などを読んでいたのだが、橋本ゼミに入ったりして、どんどん興味が広がり、広い範囲のテーマの本を読んできた。全然足りないといわれそうだが。
読書は近くのフレッシュネスバーガーなどでしていた。あの場所はかなり、落ち着くし、大好きな場所である。自分の興味に関して、読書するという事は非常に楽しい。さらに、その得たことについて、人と話をするとさらに楽しい。いい仲間に恵まれて、いい本にも恵まれてきた様な気がする。しかし、大学生活が終わってしまうと、そんな読書に割くことのできる時間も限定されてきてしまうのだろう。余裕を持った読書をしていきたいものだ。
F:夜遊び→昼寝(酒にまつわるエトセトラ)
大学生活ほど、次の日を気にしない生活は無いと思う。それほど、時間があり、馬鹿もできる。徹夜もできるし、昼寝もできる。最高だ。僕は飲み会の機会としては
@ サークル
A クラス
B ゼミ
C 合同飲み会(あくまでも)
D 各種バイトで
などがあったのだが
@サークルではいわずもがな。飲みまくった。吐きまくった。
Aクラスではやはり、学年が進むにつれ、飲み会の回数が減っていったが仲いいやつらでコンスタントに飲んでいた。
Bゼミでは、しょうちゃん家で鍋などをすることが多かった。夏はその日に招集するジンパ。しょうちゃん家で見るM1は最高だった。
C合同飲み会というのはあくまでも合同でする飲み会だが、やっぱ1,2年の頃は機会が多かった。そのたびに友達の家に行って飲んでいたが、やっぱ楽しい。多くを求めず、楽しむ。これがコツだと思う。
D 結構、バイト先の飲み会も多く、年上の人たちと交流するいい機会だった。いろんな話も聞けるし、社会勉強になる気がした。
とにかく大学生活とは酒無しでは語れない場なのだと思う。
G:友達づきあい
時間がある大学生だからこそ、友達づきあいもさかんだ。僕は本当にいい友達に恵まれた。ゼミのみんなもサークルの友達も仲いい奴らは最高にいい奴らだ。馬鹿やってる時間ってのは本当に楽しいし、一緒にまじめになにかに取り組む時間は本当に役に立つ。
大学に入って、僕は一人では全然楽しくなかっただろうし、何を得ることもなかっただろう。そこに、いろんな方向性をもった、人たちが話してくれたり、道を勧めてくれたりして、今の僕がある。
いい友達に巡り会う運を持ってると思う。
3:社会人
さーて、ここから社会人への第一歩を踏み出すわけだけど、前にも書いたことだが僕はそこまで嫌なわけじゃない。ただ、今の時間があまりに魅力的で、離れるのが怖くて、手放し難いだけである。
かなり、矛盾しているようだけれども社会に出るってことはそれなりの魅力もあるわけだ。それは学生では無く、社会人として扱われるということだ。学生ということは。
@ ぼくらは時間的、精神的、経済的にかなり甘い環境にいる。
A 社会人と話す時に相手の立場が経験的には理解できない。
B 働いていないってことはまだまだ青二才という風にみられる。
C 将来の夢への現実的な道が具現化していない。
こういうイメージが僕にはある。学生である限り、まだまだ自立した状態とはいえないと思う。少なくとも僕の場合は。このようなイメージを持たれることが悪いこととか、そういう事じゃない。ただ、僕が今もっている目標を話す時、考える時に非常に曖昧なものになってしまうのだ。それはよく言われるように、「社会に出てみなければわからないこともある」ということだ。今はそれらを知りたいし、知らなければいけない。
それらを知るチャンスが今あるのである。今の22歳、これからの一年間をもう一年学生で過ごすか、社会に出るかという葛藤が僕にはあった。しかし、僕は社会に出る方を選んだ。
もう一年、いろんなことを勉強したり、遊んだり、いろんな国を見て回ったりしてみたいという気持ちははっきりいって非常に強い。それではその気持ちをどうすればいいのだろうか??
4年 橋本ゼミ 野下真介
大学生活を振り返ってみた時、最初に思い浮かぶのは「後悔」である。それは、決して大学生活がつまらなかったと言う意味ではない。総合的には色々と経験出来たし楽しかったと思う。では、何を後悔しているかと言えば、今の時点で「やっとけばよかったなあ」と思うことが多くあるということである。そのことは最後にまとめるとして、簡単に入学から現在に至るまでを述べたいと思う。
まず、私は九州は宮崎県の出身である。そのため入学してから出会った人に「何で北海道に来たの?」と必ずと言っていいほど聞かれた。正直、北大を選んだ大きな理由はない。高校の時に見たパンフレットを見て単純に「北海道に行ってみたいなあ」と思っただけである。両親を何とか説得しAO入試だけという条件で受験したのである。もしそこで試験に落ちていたらその後は北大を受けなかっただろう。そのため、色んな人に北大に来た理由を尋ねられたがいつも曖昧な返答しか出来なかった。そのため、就活でこの質問をされると苦労することになったが。
◎私の大学5年間
入学してからの一年はあっという間に過ぎた気がする。授業もわりと真面目に出席していたし、学際、サークル、バイト、遊び、旅行と高校まででは出来なかったことをしてきた。特に前期は毎週飲んで、学校も行って、サークルも行ってと、ほんとに「普通の大学生」の生活をしていた。やること全てが新鮮であったというのもあるが、しかし今考えると、(一日の行動密度?と言う点では)この時が最も充実していたのかなとは思う反面、自分で行動を起こしてやったことより周りに流されて動いていたと思う。
しかし、2年生になり、学部の授業が始まった頃から不真面目になってきた。1年間大学生活を過ごし悪い意味で慣れてきたのもあるが、私にとっては、それ以上にワールドカップがあったのが大きいだろう。小学校からサッカーをやっていた私にとっては大学の授業よりもワールドカップの方が断然魅力的であった。必要最低限の授業しか行かず、あとはサッカー観戦、札幌で行われた試合にも観戦に行った。大学生として失格だろうが、この事に関して一切悔いは無いというのが本音である。後期になっても、一度ついたサボり癖は治らず、だからと言って家でボーっとしているのも時間が勿体ない。ちょうどこの頃から、今までは自ら進んで読むことの無かった本を読み始めた。また、音楽への興味が復活したのもこの頃である。本屋、CDショップに行く機会が増え、中でも卒論の主題となった「メディア・リテラシー」に関する本を読み興味が湧いてきたのもこの時期であろう。
しかし、冬になりゼミ選択の時期がやってくる。とりあえず就職するということくらいしか決まっていなかった自分にとってこのゼミ選択は迷った。結局は、「自分は経営や会計は向いていないなあ」と言う漠然とした考えと、「卒論のテーマを自由に書かせてもらえる」ことを基準に選び、趙ゼミ(国際経済学)に進むことが決まった。
3年になり、ゼミ、就活が新しく大学生活に入ってきた。ゼミはイメージしていたよりは忙しかったが、苦痛と言うほどではなかった。ただ、つまらなくもないが、おもしろくもないと言う何とも中途半端な気持ちで参加していたように思う。また、授業も「さすがにこれ以上サボっていてはまずい」と思い、そこそこ単位は取るようにした。また、サークルでは最も思い出深い年となった。市内リーグで優勝することが出来たからだ。対戦相手はそれほど強いわけではなく、部活のように死ぬほど練習していたわけではないがそれでも、チームが一番一致団結したと感があり、私とっては非常に嬉しかった。そして後期になると「就活」が話題の中心となってくる。細かい内容は就活体験記に書いたのでここでは省略するが、周りのみんなの様子がこれまでとは変わってきたのは明らかであった。3年から4年にかけて説明会、面接と慌しく時間だけが過ぎていった。地元・マスコミを中心に就活を続けていたが、結果として失敗に終わる。そのため、一年間留年してもう一回就活をすることにし、後期から本格的に授業に復活した。所属していたゼミの先生の転勤により転ゼミを余儀なくされたため、4年生から本来の志望ゼミであった橋本ゼミに転ゼミすることは決まっていたが就活により前期は2、3回しか参加出来ず、後期から本格的に参加した。前年度のゼミとは違い厳しくもあったが、その分充実していたように思う。何より卒論制作に執りかかったのが大きい。正直、大学では本文である勉強の方で何かを成し遂げたというものを感じることがほとんど無かった。そのため、卒論だけは力を入れて取り組むつもりであった。幸いにもテーマは決まっていたので書きやすかった。楽だったと言う訳でもないし、内容が素晴らしいとはお世辞にも言えないがやりきったと言う実感はあった。
その後、二度目の就活を終え、現在に至り、これを書いている。では、最初に「大学生活を振り返った時に後悔がある」と書いたがその理由について書きたいと思う。
◎大学(生活)に対する心構えが基本的になっていなかった。
AO入試で北大を受験する前、合格した後、大学でやりたいことを様々考えていた。しかし今振り返ってみると実現出来ていないことが多いような気がする。また、実現できなかったとしてもそれに対する行動を起こしたかと言えばそれすらもやっていないことが多い。その原因は何か、と考えると自分の考えの甘さが全てである。高校までは、親、先生、友人の言ったことや同じことをやっていれば良かった。目標にしても大学進学者がほとんどだったので、自分で何か行動を起こす必要も無かった。大学に進学する時、再三「大学は自分でやりたいことを見つけ、自分で行動を起こさないと何も始まらない」ことは何度も言われ頭では分かったつもりでいた。それでも、私の頭の中に「誰かが助けてくれるだろう、みんなと同じことをやっていれば問題ないだろう」と言う意識が確実にあったのだろう。そんな意識があったせいか、友人が留学したり、旅行したり、就活を開始したりしない限り自分から動こうとしない、みんなが動きだして初めて焦りが生じ「自分も何かやらねば」と言う気持ちが生まれ結果として時間が足りず間に合わなかったり行動を起こさずにいることが多かった。また、周りのペースに流されやすい。「みんながやり始めると、じゃあ、自分も…」という気持ちになることが多かった。結局は自分の意思ではないためやらないでいることが多かったが。これらのことが大学生活に対する「後悔」の気持ちに繋がっているのだろう。
旅行出発を数日後に控えた時にこれを書いていたのだが、今回の旅行にしてもようやくここに至ったという気がする。海外に行きたいと言う気持ちはかなり以前から抱いていたが、結局行動に移すことがなかった。この4ヶ月ほどアルバイトをしてみてやっと時間やお金に対する焦りが生じてきた。自分に対する見通しの甘さを今更ながら痛感している。
しかし、あと2週間もすれば社会人として生きていかなければならない。これまでのように「後悔」と言う気持ちだけでは済まないだろう。5年間の投資で気付いたものとしては寂しい気もするがこれを克服しない限り、自分はいつまでたっても成長しないと思う。
最後に、ここまで大学生活を振り返り書いてきた。改めて読みなしてみると何となく暗い感じがするが、つまらなかった訳ではない。非常に楽しかったことも多々あるし、今回の旅行も自分にとって大変有意義なものだった。ただ、大学生活の自分自身の考えの甘さに後悔しているということである。こう考えると、周囲のサポートが無かったら後悔だけが残っていた大学生活になったであろうが、そうならないように、サポートしてくれた友人や出会った人にはほんとに感謝している。ありきたりの言葉かもしれないが「言うは易し、行なうは堅し」「やった後悔よりもやった後悔の方が遥かに大きい」この二つの言葉を忘れることなく、これからの人生を過ごしていきたいと思う。